「第4回 英霊に感謝し戦災死没者を追悼する会 福山」を開催しました。

第四回(だいよんかい)英霊(えいれい)感謝(かんしゃ)戦災(せんさい)死没者(しぼつしゃ)追悼(ついとう)する会・福山  声明(せいめい)

(さき)大東亜(だいとうあ)戦争(せんそう)から八十年の歳月(さいげつ)過ぎ去(すぎさ)りました。苛烈(かれつ)(きわ)めた(たたか)いの(なか)()をもって難局(なんきょく)(じゅん)じた軍人(ぐんじん)軍属(ぐんぞく)二百三十万(はしら)祖国(そこく)ために(ささ)げられ、また、無差別(むさべつ)爆撃(ばくげき)により、一般(いっぱん)国民(こくみん)八十万柱もの(とうと)(いのち)財産(ざいさん)(うしな)われました。

ここ備後(びんご)護国(ごこく)神社(じんじゃ)には、備後(びんご)一円(いちえん)の三万一千五百余柱(よはしら)英霊(えいれい)(まつ)られており、福山市への空襲(くうしゅう)戦災(せんさい)死没者(しぼつしゃ)は三百五十五(はしら)(のぼ)ります。お()くなりになられた方々(かたがた)哀悼(あいとう)(まこと)をささげるものです。

戦後(せんご)廃墟(はいきょ)の中から苦難(くなん)克服(こくふく)して、見事(みごと)復興(ふっこう)()()げることができたのは、国や家族(かぞく)(まも)るために(いのち)()けて(たたか)った方々(かたがた)の、かけがえのない命と苦難(くなん)歴史(れきし)の上に(きず)かれたものであることを、私たちは片時(かたとき)たりとも(わす)れません。(あらた)めて(ふか)感謝(かんしゃ)()(あらわ)すとともに、敬意(けいい)鎮魂(ちんこん)(まこと)(ささ)げます。

  大東亜(だいとうあ)戦争後(せんそうご)世界(せかい)()てみると、西欧(せいおう)諸国(しょこく)植民地(しょくみんち)をすべて(うしな)っただけで()わりました。一方、日本は戦闘(せんとう)には()けましたが、アジア諸国(しょこく)西欧(せいおう)から独立(どくりつ)させるという目的(もくてき)()たしたのです。

戦争に()ったか()けたかは、戦争(せんそう)目的(もくてき)達成(たっせい)できたかどうかで()まる、とはクラウゼ・ヴィッツの(せん)争論(そうろん)です。日本の戦争は、人種(じんしゅ)差別(さべつ)世界(せかい)(たた)きつぶすという目的(もくてき)、また自存(じそん)自衛(じえい)の目的を()たしました。その意味(いみ)で、日本こそ勝ったのです。これは私たちが(ほこ)りにしてよいことなのです。

タイの元首相(もとしゅしょう)ククリッド・プラモードは、新聞(しんぶん)にこんな一文(いちぶん)()せています。「日本のおかげで、アジアの諸国(しょこく)はすべて独立(どくりつ)した。日本というお母さんは難産(なんざん)して母体(ぼたい)をそこなったが、生まれた子供(こども)はすくすくと(そだ)っている。  

今日(こんにち)東南(とうなん)アジアの諸国民(しょこくみん)が、アメリカやイギリスと対等(たいとう)(はなし)ができるのは、いったい(だれ)のおかげであるか。それは()(ころ)して(じん)をなした日本というお母さんがあったためである」日本の()()一撃(いちげき)が、人種(じんしゅ)差別(さべつ)世界(せかい)(たた)きつぶしたのです。大東亜(だいとうあ)戦争(せんそう)は、大航海(だいこうかい)時代(じだい)以来(いらい)欧米(おうべい)諸国(しょこく)によるアジア・アフリカ収奪(しゅうだつ)歴史(れきし)に、終止(しゅうし)()()ちました。これはいくら評価(ひょうか)しても評価しきれないほど、大きな事柄(ことがら)です。人類(じんるい)史上(しじょう)画期的(かっきてき)出来事(できごと)といってよいのです。

歴史(れきし)学者(がくしゃ)H・Gウエルズも()べています。「この戦争は植民地(しょくみんち)主義(しゅぎ)終止(しゅうし)()()ち、白人(はくじん)有色(ゆうしょく)人種(じんしゅ)との平等(びょうどう)をもたらし、世界(せかい)連邦(れんぽう)礎石(そせき)()いた。」 その主役(しゅやく)()たしたのが日本でした。あの空前(くうぜん)のスケールの戦争だった大東亜戦争の意義(いぎ)がここにあります。

戦争はないに()したことはありません。しかし、もしあの戦争がなかったら、今もってアジア諸国(しょこく)西欧(せいおう)植民地(しょくみんち)であり(つづ)けたでしょう。黄色(おうしょく)人種(じんしゅ)白人(はくじん)召使(めしつかい)のように、ペコペコしていなければならなかったでしょう。西欧(せいおう)はアジアから搾取(さくしゅ)によってますます()み、アジアはますます(まず)しく放置(ほうち)されていたに(ちが)いありません。しかし、日本の戦争が、その歴史(れきし)(なが)れを()えたのです。

今年は終戦(しゅうせん)から八十年の節目(ふしめ)の年に()たります。この(かん)時代(じだい)(なが)れに(ともな)って様々(さまざま)変化(へんか)体現(たいげん)しておりますが、あの苛烈(かれつ)(きわ)めた大東亜戦争は(わす)れてはいけませんし、忘れはしません。私たちは英霊(えいれい)の思いを(むね)(ほこ)りを()って()きていこうではありませんか。     これをもって、

第四回(だいよんかい)英霊(えいれい)感謝(かんしゃ)戦災(せんさい)死没者(しぼつしゃ)追悼(ついとう)する(かい)福山(ふくやま)」の(せい)明文(めいぶん)といたします。

     令和七年八月十五日                日本会議広島福山支部

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